九十九里の背景
九十九里平野は日本でも最大級の海岸平野であり、古墳期以降(西暦500年)に現在の形に形成された。
七福神の信仰が始まったのは室町時代後期(西暦1500年)からで、漁民も農民も元々七福神信仰者だった。
そのため自然に地域に根付いていった。
<<七福神とは…?>>
インド、中国、そして日本の神様から成っていて日本の仏教と中国の仏教が混じり合い生まれた信仰であると伝えられている。今でも正月になると七福神めぐりをするというくらい信仰が盛んである。
恵美寿神、大黒天、毘沙門天、弁財天、福禄寿神、寿老神、布袋尊という七人の神様で構成され、そのうち恵比須神だけが日本古来の神様。大黒天、 毘沙門天、弁財天はインドの神様、福禄寿神、老寿神、布袋尊は中国の神様といわれています。
◆寿老人(要行寺・大網白里町)
<寿老人とは?>
寿老人は中国の神様で老人星の化身ともいわれている。その姿は背が低く、長い頭に長い白髪巻物を付けた杖を持ち鹿をつれている。鹿は『元禄』と呼ばれ、長寿の象徴とされている。もちろんそのため寿老人は延命長寿、福禄の神として知られている。また寿老人は福禄寿と非常によく似ていたため福禄寿とひとつの神として考えられていたという説もある。
<要行寺>
以前、紹介した白子町の真光寺(毘沙門天) から車で約7分、県道から少し先の奥まった所にある要行寺。 寺の入口から少し入ったところにある真っ赤に染まった山寺が印象的だ。
ここは今までで一番大きな寺だった。 広々とした駐車場の奥の境内には寿老人 以外にも観音像などが並んでいた。そしてきれいな寺だった。
ここ要行寺は徳治元年(1306)または一説によると正和4年(1315)の開山と伝えられている。現在の白里町に移ったのは慶安3年(1650)のことである。
しかし安永3年(1774)に火災で焼失してしまったため、再建された。 江戸時代には幕府から(*)十万石諸侯の格式が与えられていた。
(※) 諸大名のこと
※ 九十九里・浜の七福神で唯一、斉藤一人氏の札を発見できない寺である。 剥がされてしまったのか?謎である。
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