現代詩の父たる論理詩人・高村光太郎 | 九十九里町 | 文学の旅 (文責 竹村 彩) |
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平成天皇も宿泊された「サンライズ九十九里」近くに「智恵子抄」の石碑がある。 【高村光太郎(1883〜1956)】 ◆―ロダンとの出会い―◆ 高村光雲の長男として生まれた光太郎。幼いころから家業
を継ぐべく彫刻に親しみ、父光雲が教授を務める東京美術学校に進む。 ◆―智恵子との出会い―◆ 光太郎はそんな時に女流画家の長沼智恵子と出会う。
1911年のことである。2人は共に生き愛し美を 生み出しあう関係へとなっていった。しかし、幸せはけして長くは続かなかった。 ↑「千鳥と遊ぶ智恵子」の全文が光太朗自筆拡大で刻まれている碑↑ ◆―智恵子抄―◆ 長沼智恵子。彼女の死がきっかけになり『智恵子抄』は生まれた。 【高村光太郎が残した作品たち】 智恵子の死後も数々の芸術品達を残している。
智恵子を失った光太郎は戦争という歴史の渦に飲み込まれる。 そして彼は敗戦直後から岩手県の山中にこもり、『暗愚小伝』(あんぐしょうでん) という厳しい内容の記録を書き新たな芸術創出を願い つつ、世を去った。 ←光太郎が7年間住んだ山小屋(岩手県太田村) |
●アクセス情報 |
「智恵子抄」の石碑は、国民宿舎「サンライズ九十九里」の裏手の海岸(真亀海岸)にあります。 【電車で】 お問合せ:九十九里町観光協会 |
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